HOME > お知らせ

お知らせ

2016-06-10
■ 下町ロケット(3)−弁理士不在の物語−

 前回は、物語の後半、「帝国重工」との対決を通じて、特許権が取得できるための条件について述べました。

 今回は続編の「ガウディ計画」について論じることにします。

 なお、ページ数は、ソフトカバー版初版第2刷に基づきます。

1.物語として
 好みの問題ではありますが、物語としては「下町ロケット」(以下「前作」といいます)の方がスリリングだったと思います。
 もちろんエンターテインメント小説なので、最後はうまくいくだろう、と頭ではわかっていても、前作では次々と襲ってくる様々なトラブルに、「これはどうやって解決するのか」、と本当にはらはらしながら読みました。
 再読の際も、その物語の魅力は十分に感じることができました。
 しかし、「ガウディ計画」(以下「本作」といいます)では、かなり早い段階で、「佃製作所」の勝利、というか、「サヤマ製作所」の敗北が見えてしまったのです。
 確かに本作の敵役「サヤマ」の椎名社長は、NASA出身でMBAも取得、という高スペックですが、中小企業であることは、佃製作所と同様です。
 そして、社長が高スペックで工場施設も立派とはいえ、会社の技術力はどの程度なのか。
 それを示唆するかのような、「佃」の有望若手、中里の引き抜き、そしてそれを通じた技術流出のシーンは、12章構成の第1章で描かれてしまいます。
 また、「サヤマ」の致命傷となる医療事故も、第6章で発生します。
 そこで、帝国重工内での権力闘争のとばっちりで「佃」がコンペに負けたり、PMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)における人工弁の審査が、医者の面子争いの報復で不利になったりしても、最後の逆転を信じることができ、スリルという点では前作に及ばないと感じました。
 ただ、本作でそのスリルの不足を補って余りあるのは、医療機器分野における「ものづくり」の意義に関わる部分です。
 前作は佃社長の「夢」がものづくりのテーマであったのですが、本作のテーマは「人命」です。
 「ものづくり」で人が救える、と感じた「佃」の若手社員の技術者としての覚醒シーンの感動は、エンターテインメントの枠を超えて普遍的テーマに迫るものであると思います。
2.技術流出(不正競争防止法)
(1) 営業秘密に関する不正競争防止法の規定
     不正競争防止法第2条第1項の4号から10号は、「営業秘密」の不正取得行為について定義しています。
     2条1項とは「不正競争」という言葉を「定義」する条文で、これに該当するものを「不正競争」として、何らかの禁止規定や罰則規定を設ける前提とするのです。
     4〜6号は、窃盗、詐欺、強迫その他不正の手段で営業秘密を取得する行為についての規定、7〜9号は、取得自体は合法であっても、転得者(その合法に取得した者から取得した者)が不正の利益を得る目的や営業秘密保持者に損害を与える目的(図利加害目的といいます)でその営業秘密を使用、開示する行為についての規定、10号は、4~9号により生じたものの取引についての規定です。
     ところで、「営業秘密」とは何なのか、それは、第2条の第6項に以下のように規定されています。
     この法律において「営業秘密」とは、秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないものをいう。
     即ち、@秘密として管理されていること、A有用であること、B公然と知られていないこと、の3つの要件を満たすことが必要です。
     「営業秘密」に該当する情報については、どこかで「汚れて」しまえば、即ち不正取得や不正開示があれば、善意無過失でない限り、その下流での使用等の行為は、不正競争行為となります。
(2) 中里(佃→サヤマへ移籍)の行為
     中里は、佃製作所の若手エンジニアで、潜在能力は認められているがまだ半人前の存在です。
     そんな彼が、物語の始まる前から「サヤマ」から社長直々にヘッドハンティングをかけられていること、そして、ほしいのが「日本クライン」との取引で競合している技術分野であることから、「サヤマ」が本当に高い技術力を持った会社なのか、まず疑問を感じてしまいます。
     そして、移籍が確定していない中里に、椎名が、対「日本クライン」で競合していることを明かして勧誘するという、情報セキュリティ意識はどうなっているんだろう、という疑問も生じます。
     これは、後に具体的に形を取ることになります。
     「サヤマ」の社員である横田は、バルブの性能に疑問を持ち、既にアクセス権がないため、担当者である中里の権限でアクセスした資料を、中里不在の間にダウンロードします。
     中里の上司である月島は、ダウンロードのログを確認しているにもかかわらず、中里の「画面を出したまま、休憩していましたので(中略)その間に誰かが外部メモリーにダウンロードした可能性があります」、という言い訳(完全な嘘ではありませんが)を信じます。
     そもそも、機密にアクセスできるPCは、USB端子など無効になっているのが当たり前ですし、そうでなくとも、外部メモリーがアクセスすれば、管理者にアラートが届くようになっているべきでしょう。
     それはさておき、二人が実際に会っているときに、椎名は競合している製品であるバルブの設計図を、紙ナプキンに書いて示します。
     それにつられて、いいところを見せようとした中里は、上司の山崎が考えた改良案を、自分のアイディアとして描いて見せてしまいます。
     椎名は、その設計図を自分に渡してほしいと頼みます。
     原作47ページから引用します。
     さすがにまずいと思った中里は、思わず言葉に詰まった。「ちょっと社外には」
     そういうと、
     「社内だろ」
     すかさず、相手は訂正してみせる。「君はもうウチの社内の人間になる。であれば問題ないはずだ。(後略)」
     たとえそのアイディアが中里のオリジナルであったとしても、「佃」で働いている期間中に作ったものであり、秘密管理されているわけですから、どこまでいっても「サヤマ」の「社内」にはなりません。
     中里が「サヤマ」に移籍後に開発したものから「社内」になるのです。
     まあ、この場面では椎名も知っての上でのことと思いますが。
     これは、本作の物語が始まった年の、4月下旬から5月にかけてのことだと思います。
     そして、「日本クライン」は、「佃」の試作品を受け取る5月半ばに、いきなり設計変更があることを告げ、新図面を見せますが、「佃」は、あまりのことに断り、「日本クライン」との取引をやめることになります。
     そして、翌年2月半ばに「日本クライン」製の人工心臓で事故が起きたとき、山崎は、設計変更の際に見せられた図面が、自分の設計に似ていたことを思い出します。
     さらに、この技術に関わる図面は、4月半ばに、「サヤマ」からの内部告発を受け取ったジャーナリストから、「佃」にもたらされます。
     山崎は自分の設計であることを確認し、佃社長は、神谷弁護士と相談することになりました。
3.特許権の範囲
(1) 特許権の範囲とは
     特許法第70条第1項には、以下のように規定されています。
     特許発明の技術的範囲は、願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない。
     これは、特許権の「範囲」が「文章」によって規定されている、という意味です。
     「サヤマ」のバルブにデータ偽装があり、そのために人工心臓の事故が起こって、バルブの供給元に困った「日本クライン」は、やむを得ず「佃」に改めてバルブの開発を依頼しにきます。
     「佃」は、それに回答する前に、バルブの設計は自社から「サヤマ」に流出したものである点を指摘します。
     原作349〜350ページから引用します。
     藤堂は吐き捨てると、傍らの久坂を向いていった。「部長、やはり他の会社を当たりませんか。どうやら佃製作所さんは、やる気がないようですから」
     代わりなど幾らでもいるぞとでも、いいたいのだろう。
     「そうされるのならそれは構いません。ただ、その設計図のバルブを製造するのは止めていただきたい」
     佃がいうと、
     「いい加減にしなさいよ、あんた」
     藤堂が食ってかかった。「あんたにそんなことをいう権利はないはずだ。そもそも、これがお宅の設計図だという証拠もない。ふざけるな」
     「証拠ならあります」
     そう脇から声がかかった。神谷だ。
     神谷は手にした書類を二人に見せながら、そのページを開いた。
     「これは佃製作所が三年前に特許申請し、認可された新型バルブの図面です。どうぞご覧ください」
     よく見えるように、日本クラインの設計図と並べて見せる。
     「日本クライン」の二人は、設計図と神谷弁護士が出した書類の図面を見比べて、同じ技術と知って脱力してしまいますが、我々知的財産権関係者も、この部分を読んで、結構脱力してしまいます。
     まず知財専門の弁護士であり、弁理士資格も持つ神谷弁護士が「特許申請」と口にするところです。
     知財の専門家は、口が裂けても「特許」を「申請」するとはいいません。
     「出願」です。
     でも、それよりも脱力するのは、特許権の範囲を図面で見比べて確認しているところです。
     本来であれば、まず、書類の「特許請求の範囲」の文章を読み、その記載がどのような技術的特徴を表しているのか読み取り、自社の採用した技術がその記載内容と抵触するかどうかを確認します。
     越後製菓とサトウ食品工業との間で争われたいわゆる「切り餅訴訟」ですが、特許請求の範囲の請求項1における「焼き網に載置して焼き上げて食する輪郭形状が方形の小片餅体である切餅の載置底面又は平坦上面ではなくこの小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に、この立直側面に沿う方向を周方向としてこの周方向に長さを有する一若しくは複数の切り込み部又は溝部を設け、」の記載中の、「ではなく」がどこからどこまでにかかるのか、の解釈が争われたのです。
     「立直側面」が「切餅の載置底面又は平坦上面」ではないのか、それとも、「一若しくは複数の切り込み部又は溝部を設け」るのが「切餅の載置底面又は平坦上面」ではないのか。
     その解釈の際に、出願に添付された図面はもちろん参考とされましたが、権利範囲を定めるのは、あくまで請求項の記載なのです。
     図面同士だけを比較して、特許権と抵触していると判断するなんて、軽率としか言えません。
(2) 特許権の侵害の回避とは
     そして、どうやら自社技術が、他人の特許権の範囲と抵触すると判断したとしても、今度はその特許権に瑕疵がないかどうかを検討して、特許権を消滅させることによって、自社が実施できるようにならないかどうかも検討する必要があります。
     特許審査の過程で、先行技術と出願に係る発明とを比較して、その発明が「新規性」や「進歩性」という特許要件を満たしているかどうかを判断するのは、特許庁の審査官です。
     しかし、審査官も人間ですので、その判断が常に正しいとは限りません。
     そこで、「特許異議申立て」や「特許無効審判」という制度を利用して、登録要件を満たさないのに過誤登録された特許権を消滅させることができるのです。
     そこを検討せずに、おめおめと引き下がるようでは、先端技術の担当者としてはいかがなものか。
     また、特許法第79条には、いわゆる「先使用権」が以下のように規定されています。
     特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし、又は特許出願に係る発明の内容を知らないでその発明をした者から知得して、特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者は、その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において、その特許出願に係る特許権について通常実施権を有する。
     即ち、特許発明の技術的範囲に属する発明を、その特許に係る出願の段階で、自分で実施(又は準備)していれば、侵害には該当しないのです。
     「日本クライン」は人工心臓を臨床テストの段階までもってきています。
     PMDAの承認を受けるまでに、何年もかかっているはずです。
     先使用権がある可能性は、十分検討に値します。
     ところで、先使用権は、特許出願時に実施等があるかどうか、です。
     本作では、上記の通り、出願は3年前、となっています。
     さて、「佃」が「日本クライン」からバルブの試作を依頼され、その図面を見た山崎が設計変更を思いついてから、本作の中で流れた時間は、まだ1年経つか経たないか、というところです。
     何のために開発したバルブが、たまたま人工心臓用のバルブの設計に適していたのでしょうか。
     それに、前回でも述べましたが、出願が3年前であれば、その内容は約1年6カ月前に、公開されています。
     「日本クライン」は、一部上場の大手メーカーで、欧米でも医療機器販売に実績がある、という設定です。
     知的財産を担当する部署があり、関連技術のリサーチを行っているのが通常だと思うんですが、どうも、悪役に設定された企業は、大企業であっても隙だらけなようです。
     それにしても、「佃」には、ロケット用バルブの事件から、神谷弁護士が付いているのですから、開発記録の日付の証明などに、タイムスタンプなどを活用するように指導していなかったのでしょうか。
     また、「佃」においても、設計図などの機密事項には、サーバーへのアクセス制限や、ダウンロードログの記録等も行っていなかったのでしょうか。
     タイムスタンプがなくても、設計図の作成・更新履歴によって、ある程度の証明は可能です。
     「3年前の出願」という、物語の設定上無理のある特許などではなく、不正競争防止法の営業秘密の不当取得・使用で攻められたと思います。
     もっとも、それをやると、改心して「サヤマ」のために頑張ろう、と決心した中里の、「はしご」を外すことになってしまいますが。
4.「弁理士業務」と「物語」について
 本作343ページに、「佃」が「ガウディ計画」で開発した技術について、特許「申請」するための打ち合わせを、神谷弁護士と打ち合わせをする、というシチュエーションがあります。
 前作以降、知的財産の取得に係る「出願」は、神谷弁護士(弁理士)の仕事になったようで、やはり出願は専門家に任せる、ということが、ほんのわずかですが、物語中に登場します。
 上述したように、出願書類の記載の「書きぶり」で、権利範囲が左右されることもあるので、実際の事件に取材して書かれる他の小説で、弁理士が登場することもあるかもしれません。
 とはいえ、華々しい「訴訟」という舞台がない、ということが、実は弁理士の存在意義なのではないかと思う部分もあるのです。
 弁理士の仕事は本来「転ばぬ先の杖」です。
 後の争いを避けるために、事前に権利取得するためのお手伝いをするのです。
 そこで大事なのが「先んずれば人を制す」です。
 特許も、商標も、「先願優位」の原則があります。
 できるだけスピーディーに、お客さまの希望に沿えるように、或いは、危険性を調査し、あらかじめ回避できるように、弁理士は働いています。
 「物語」の主人公になりにくいので、それをどうやってアピールするかは、別な側面から考えていかなければならないでしょう。
 目立てない僻みから、いろいろ突っ込みましたが、「下町ロケット」、「ガウディ計画」ともに、小説として十分に楽しむことができる傑作です。
 映像ソフトもあるようですので、この作品に触れることがあれば、作品にはほとんど出てこないけれど、こういう事件にならないように、弁理士という職業の人間が働いていることを、ちょっとだけ思い出していただければ幸いです。
朝陽特許事務所 お問い合わせ−特許、実用新案、意匠、商標、著作権、不正競争防止法等、知的財産についてのお問い合わせ。

朝陽特許事務所のご案内

朝陽特許事務所(ちょうよう)−東京都港区にある特許事務所。

■ 当事務所は、社内に独立した知財部門を設けることが難しい中小企業向けの特許事務所です。

<取扱業務>
・ 特許・実用新案・意匠・商標の出願代理
・ アイディア活用等のご相談
・ 知的財産権の活用コンサルティング
・ 知的財産権等についての講演・セミナー講師

<所在地>
〒105-0003
東京都港区西新橋1-22-4
Space R 3階
TEL 03-6457-9671
FAX 03-6457-9672
URL http://www.choyo-pat.jp

 大きな地図で見る